[ESSAY:28] 胡蝶の夢の途中
本日、4月11日はGallery Pictorの創業記念日です。おかげさまで3周年を迎えることができました。ご関心をお寄せいただいている皆様に心より御礼申し上げます。
3年前にギャラリーを始めた時に考えていたことと、今考えていることは、実は結構違います。思い描いていたギャラリーの姿も違うし、自分がやれていることの範囲も度合いも違います。
むかしから私は目標と計画を立てるのが苦手でした。特に計画の方。できないというより、やりたくないという感じです。
たぶん私が目標と計画を立てて実行したのは、大学受験が最後だと思います(笑)。
前職のコンサルティング業ではスケジュール表の作成が私の一番キライな作業でした。でも、クライアントにスケジュール表を提出するのは必須なので、やらなくてはなりません。それに、組織的な仕事はやはりスケジュールが必要なのです。今でも、展覧会を依頼したアーティストにはスケジュール表を渡しますが、苦手なのでいつもギリギリになってしまいます。
会社に所属していると、よくキャリアプランを立てろと言われます。これもまた苦手で、3年後・5年後の自分の姿を思い描いてバックキャスティングしましょうと言われても、一応形だけはやりましたが、真剣に取り組んだことはありません(だからこうなった・・・)。
仕事・業務は別として、個人の生きる道において計画を立てたくないのは、頭で作った計画は、その通りにならない(できない)ことが多いからです。でもビジョンはあったほうが良いと思っていて、そこに近づこうとして行動を決めている感じです。
目標・計画を立てるのが苦手な代わりに、「予感」のようなものを感じて行動したり、目の前に立ち上がる現実に対処することができる方だと自分では思っています。
先日、こういう話をとあるコミュニティで話していたら、「荘子の胡蝶の夢」という話を教えていただきました。
荘子が、自分が蝶になった夢を見ます。そして夢から覚めると荘子自身に戻っている。「夢だったか」と思う。しかし、荘子が蝶になる夢をみたのか、蝶が荘子になる夢をみたのか、定かではない。
この話は、広く一般的には「夢と現実の区別がつかない」「現実は儚いものである」ことのメタファーとして使われるようなのですが、元々は万物一体、つまり、全てのものは変化を繰り返すその途中の段階に過ぎず、荘子と蝶の間に明確な区別はない、という話です。
自分も環境も日々変化してゆくのだから、その時その時で調節しながら生きるのが生命というものだ、というのがその人の授けてくれた学びです。
Exactly !
これで思い出したのが、20代の頃からずっと好きな言葉で、もう20年前に読んだ本の中で出会った言葉ですが、時々思い出しては反芻しています。
Life is what happens to you while you are making other plans.
人生とは、何かを計画している時に起きてしまう別の出来事のこと。
自然写真家の故・星野道夫さんのエッセイ『イニュニック』(新潮社)で紹介されていた、年を重ねた女性の言葉です。
ちなみにイニュニックはエスキモーの言葉で「生命」という意味。
ビジョンは持つ、でも計画はほどほどでいい。今日も明日も、揺れ動く生命として行動していこうと、自分の背中を押しています。
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