[ESSAY:06] ディストピアの理想郷
創作者たちを惹きつけた「魔窟」
ディストピアはユートピア(理想郷)の反対語なので、タイトルの言い回しが矛盾していることは承知しています。しかしそれでも、数々のクリエイターにインスピレーションを与え、既に地上から消えてなくなっても、なお人心を惹きつける「ディストピアの理想郷」と言うべき場所について、今回は書きたいと思います。その場所はかつて香港の九龍 [Gaulung/Kawloon] にありました。
前回、「香港の詩人たちを思う」で、2018年に香港を訪れたことを書きました。1週間に満たない短い滞在でしたが、洗練されたウォーターフロントや金融街、旧市街を残す骨董街、アートスポットとして開拓されつつある工業地帯、郊外の少数民族の歴史的地区など、変化に富んだ香港の顔を見られたと思います。その中でも私に強い印象を残したのが、九龍でした。日本語では「クーロン」と発音することが多いようですが、現地では「カオルーン」または「カウルーン」と発音していました。
アヘン戦争の後、中国からイギリスへ土地譲渡が行われる中で、九龍地区は中国側に取り残され、宗主国イギリスの支配権が及ばない事実上の無法地帯となります。その後、1950年代から1990年代にかけて、大量の移民が流れ込んで雑居ビルに住み着き、増築に次ぐ増築を繰り返して「九龍城砦」と呼ばれる巨大スラムを形成、人口過密により衛生環境は劣悪で、犯罪の温床にもなったことから、「魔の巣窟」などと様々なメディアで取り上げられたようです。
しかしこのディストピアは、九龍城砦の取り壊しが開始される1992年までの間、多くの写真家や映画製作者、ゲームクリエイターなどから熱い注目を集めました。
住民の意のままに増改築を繰り返し、まさに魔窟のような威容、免許もなく営業している診療所・飲食店・食品加工業などありとあらゆる生業、夜の街で繰り広げられる性産業に麻薬取引・・・。また、そういった負の側面ばかりでもなく、九龍城砦では住民の共同体としての結束が強かったという記述も残されています。「生きる」ということに対する切望を隠さないこの有機生命体には引力のようなものがあったのかもしれません。
幻のディストピアを舞台に語り継がれる物語
私が九龍を訪れたのは、すでに九龍城砦が地上から姿を消して四半世紀になる頃でしたが、そういう歴史を背負った土地の性格なのでしょうか、所々に面影を感じる風景はありました。日光が差し込まない密集したビルとビルの間に突き出す生活道具、違法建築かと見られる屋上の増築部(明らかに不自然)、高速道路の脇の崩れかけた市場(まもなく取り壊されると聞きました)。しかし、それらのうっすらとした九龍城砦の記憶を追い払うかのように、ピカピカの瀟洒なマンションが建ち、再開発が進む影で、行き場を失う人々(立ち退きを要求された市場の小売店や性産業に従事する女性たち)の話も耳にし、そのギャップが私の頭の中に微かな爪痕を残しました。
そしてそんな風景を特に思い出したわけでもなく、ルーティンのように週に3〜4本は観ている映画の一つとして、その日の気分で選んだ『ブレードランナー』(1982)を約20数年ぶりに観たとき、ハリソン・フォードが雨に濡れながら歩き回る混沌としたその街が、これは九龍じゃないかとハッとしたのです。
それで調べてみたところ、『ブレードランナー』で近未来(と言っても2019年)のロサンゼルスの街をデザインしたシド・ミードは、九龍城砦にインスピレーションを得たのではないかという説がありました。これは周囲がそう憶測しているだけなので、はっきりとは分かりませんが、ミードが『ブレードランナー』以前に香港を訪れた記録はあるのです。
シド・ミードは元々インダストリアル・デザイナーで、自動車メーカーのフォードでキャリアをスタートしています。『ブレードランナー』でもビークル(乗り物)デザイナーとして起用されたのですが、彼が車の背景に描いた都市の世界観が作品のイメージを膨らませるものだったため、都市の景観から小道具やコンピュータに至るまで作品世界全体の構築を任されたのだそうです。
『ブレードランナー』のロスの街が九龍をモデルにしたものなのかどうかは定かではありませんが、九龍城砦にインスピレーションを得たクリエイターたちが映画やゲームなど作品の中でその世界観を蘇らせ、物語とともに後世の私たちにも影響を与え続けていることは確かです。
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