[ESSAY:29] レイチェル・カーソンからの手紙
7月の《学びをシェアする読書会》で『センス・オブ・ワンダー』を取り上げることになって、著者レイチェル・カーソンについて生い立ちや経歴などを少し調べてみました。
カーソンのことは大学時代に拾い読みした『沈黙の春』で知っていましたが、化学農薬による生態系の破壊を訴えた、偉大ではあるけれどやや急進的な科学者というイメージで捉えていました。当時の『沈黙の春』に掲載されていたポートレート写真がちょっとコワモテに見えたせいでもあるかもしれません。
カーソンの人となりを知るのに役に立ったのは、集英社文庫から出ているカーソンの遺稿集『失われた森』(リンダ・リア 編 / 古草秀子 訳)です。(どうやら絶版のよう・・・残念です。)
カーソンは生前に4冊の著書を、そして没後に5冊目の『センス・オブ・ワンダー』を世に送り出しましたが、そのいずれもカーソン自身についてはほとんど書かれていません。
この遺稿集には、彼女の講演会の記録、雑誌に寄稿していた文章、個人的なメモや知人への手紙などが収録されていて、編者による丹念な調査や説明のおかげもあって、レイチェル・カーソンという人を、歴史上の偉人としてではなく、私たちと同じようなことで悩んだり喜んだりする一人の女性として身近に感じることができました。
私がカーソンに親近感を覚えたのは、彼女が長い間ダブルワークをしていたことです。父親の死後、家族の生活を支えるために公務員となり(生物学の学位を持っていたので、漁業局や魚類・野生生物局などの専門職員)、それと物書きという二つの仕事を15年間両立させていました。遺稿集に収められた文章を読んでいると、公務員の仕事も生活のためだけではなく、彼女の専門性を活かし、知的好奇心を満たせる職場だったことが読み取れますし、また、そちらで得た知識や経験は執筆の方に活かしており、二つの仕事が相乗効果を持っていたように思われました。
そしてもう一つ共感できて嬉しかったのは、カーソンが科学一辺倒ではなく、科学と文学を等しく、私たちを取り巻く物事や世界を理解するために重要なものとして位置付けていたことです。たとえば『沈黙の春』は、化学農薬の生態系への影響についてシビアな科学的論証を行なっていますが、実は冒頭で、「春がきたのに鳥も虫も鳴かない架空の町」を描写しています。カーソンは、読者の理解を促進するために寓話が効果的だと考えたのです。(その点が科学的でないと槍玉にあげる人も当時いたようですが。)
科学と文学——カーソンがどちらか一つと決めずに、信念を持って二つの仕事をこなしていたことを知って、私は彼女から励ましてもらったような気持ちになりました。十数年携わっていたESG/サステナビリティの職を辞してギャラリーを開業しましたが、昨年、あるご縁があって、一度手放したその仕事が戻ってきて、今はゆるやかですがダブルワークになっています。
今年の春にESGの方の仕事が一段落して、依頼元である鎌倉サステナビリティ研究所から、これまでのESGのキャリアと今現在のダブルワークについてコラムを書いてほしいと打診があったので、書かせてもらうことにしました。私はわりと文章を書いて思考を整理するタイプなのですが、今回はその中でもかなり正確に自分の考えを書くことができましたし、また、今後ギャラリーに関わってくださる方々——作家やお客様も含めて——にも知っておいていただきたいことなので、ここでその記事をご紹介させていただきます。ちなみにこの文章はカーソンの遺稿集を読む前に書いたものです。
カーソンにとって科学も文学も同じ目的を持った手段だったのと同じで、私にとってもESGとアートの仕事は——全くの異分野ですが——一つの源泉のようなものでつながっています。カーソンは、自分のやり方を見つけて結果を出した。そのことに、尊敬の念しかありません。
【Meet KSI vol.4】ESGとアート、異なるアプローチで社会課題に関わる / 中島 紗知さん – Kamakura Sustainability Institute
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