[ESSAY:04] 『風の谷のナウシカ』にみる現代アート性
環境問題が今ほど万人の共通認識ではなかったころ
前回のアート思考からのナウシカ。これはアート思考的なジャンプ力とは違いますが、エッセイを始めてまだ4回目。私が何をやってきた人間なのか、自己紹介も兼ねて書きます。
ギャラリーを開業する前、私は通算12年ほどESGのリサーチやコンサルティングの仕事をしていました。今ならESGという言葉が一般的に通じるでしょう。主要な新聞にESGの文字が載らない日はありません。バイデン米大統領は就任後間もなく気候変動対応の大統領令を出しました。街ですれ違う20代の若者がSDGsという言葉を口にする時代です。でも、5年前ならまだ説明が必要だったと思います。(EがEnvironmentで、SがSocialで・・・云々)私がその仕事に就くようになった12年前は言うまでもありません。
私は1995年に大学に入学し、環境学を学びました。その3年前の1992年が、リオデジャネイロで開かれた地球サミット(環境と開発に関する国連会議)で、当時12歳のセヴァン・スズキが、並み居る各国首脳たちに「説教をたれた」と言っていい、伝説的なスピーチをした年です。1997年には京都議定書(気候変動枠組条約)が採択されています。
でも、私が環境問題に興味以上の危機感を覚えるようになったきっかけは、地球サミットでも京都議定書でもなく、その少し前、1984年に公開された宮崎駿のアニメ映画『風の谷のナウシカ』です。
子どもに「残酷な未来」を突きつける手加減のなさ
30代以下の『ナウシカ』を知らない方々のために簡単に紹介しておくと、同作の舞台は、高度に科学・産業の発達した世界で「火の七日間」という最終戦争が起き、文明社会が崩壊、残された大地には猛毒の「瘴気」を発する菌類生態系の森「腐海」が広がる、終末世界です。風の谷という小国の、16歳の少女にして既に国を率いるリーダーに成長していたナウシカが、周辺の列強国や土着の部族、腐海の生き物たちと相まみえながら、人類と自然が共に生き残る術を探す物語です。
『風の谷のナウシカ』は、それまでのアニメーション・漫画の常識を遥かに凌駕していました。まず、アニメーションは子ども向けと思われていた時代に、手加減のない「残酷な未来」を突きつけたのです。今のままでは君たちの未来はこうなるのだと。
その手法にも手加減はありません。壮大でありながら緻密で現実感のある舞台設定、人間の美醜を巧みに描いたストーリーテリング、主人公ナウシカをはじめとするキャラクターたちの人間性の豊かさ。ナウシカの師匠で伝説の剣豪、そして静かな賢人でもあるユパと、圧倒的なカリスマで強国の軍隊を率いながらもトラウマと優しさを秘めた女帝クシャナは私のお気に入りです。
当時9歳だった私はもちろんそんな分析はしませんが、「なんかすごい」ことだけは感じたようで、映画の後に原作の漫画も読み始め、連載が終了した時には高校3年生でしたが、その複雑な作品世界を理解しきれずに呆然としたことを覚えています。
かくして芸術のジャンルは切り拓かれた
主人公ナウシカのモデル(というかインスピレーションの元)は、ギリシャ叙事詩『オデュッセイア』に登場するパイアキア王女と、『堤中納言物語』の ”虫愛づる姫君” だそうです。(『風の谷のナウシカ』第一巻の巻末で宮崎駿本人が虫愛づる姫の出典を『今昔物語』だったと思う、と書いているのは恐らく記憶違い)。この稀代のアニメーターは、世界各地の神話や文学、産業史・科学史を横断的につなぎながら、高度経済成長を遂げた当時の「現在」をみつめ、その遥か未来に起こりうる『風の谷のナウシカ』の世界を創り上げました。過去に学び、現在を受け止め、未来を想像する。鋭い批評性と先見性。本作は十分に現代アートと呼ぶに足る作品だと思います。
そして、『風の谷のナウシカ』は、今思い返せば、その作品世界の中だけではなく、漫画・アニメーションというジャンルの未来も切り拓いた傑出したアートでした。(もちろん宮崎駿以外にも貢献者はたくさんいたことは承知の上で。)
映画が公開された1980年代には考えられなかったかもしれませんが、今では漫画やアニメも芸術の一ジャンルとして認められて不思議はないでしょう。2005年のベネチア国際映画祭では、宮崎駿にアニメ映画の監督として初めて栄誉金獅子賞が贈られました。2016年にはルーブル美術館が漫画を9番目の芸術ジャンルとして認識し、大規模な展覧会を行っています。
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