[ESSAY:05] 香港の詩人たちを思う
「座標」のような人
前回のエッセイ(『風の谷のナウシカ』にみる現代アート性」)で、宮崎駿の創り上げた世界が批評性と先見性に富んだ優れたアートだったと書きました。
その宮崎駿が、「何か物事に迷ったり、ぶつかったりしている時に、座標となって居場所を確認させてくれる人」と評したのが、作家・堀田善衛です。『広場の孤独』(1951)で芥川賞を受賞している人ですが、今ではもう読む人は少ないのかもしれません。
かく言う私も、この人が芥川賞受賞作家だということも、宮崎駿の尊敬する人だとも知らずに、Amazon Kindleのおすすめ本に表示されていた『若き日の詩人たちの肖像』(1968)という小説の、そのタイトルと表紙カバーの絵に目が留まって読むことにしたのでした。
(余談ですが、AmazonだとかNETFLIXだとかのコンテンツビジネスのあり方や、そこで “おすすめ” を表示するアルゴリズムについては映画人たちの間で議論があって、面白いのでそのうちこのエッセイでも書きたいと思っています。)
現代の若き詩人たちの行く先
堀田善衛の自伝的小説とも言われる『若き日の詩人たちの肖像』は、1936年の2.26事件の前夜、大学受験を控えた富山の青年が兄を頼って上京するところから始まります。青年は大学の仏文科に入学しますが、徐々に太平洋戦争にのみこまれていくきな臭い社会情勢のなか、共産主義に傾倒した友人たちが治安維持法の下、”思想犯” という理由で逮捕・拘留され、拷問を受けます。
若者たちが自分たちの心を落ち着け、慰めるかのように時折詠む詩が、物語の合間に現れては消えていきます。そんな時代でなければ、主人公を含めその友人たちも、文学に没頭し、詩をつくっては議論をし、恋をし、それぞれの夢を追っていたはずです。
いま、この頃の日本と同じような “若き詩人たち” が、香港に、ミャンマーに、あるいはロシアにもたくさんいるのだということを思います。もしこの小説を読んでいなかったら、私のこれらの現代の詩人たちへの思いは希薄だったか、もしかしたらほとんど無に等しかったかもしれません。
なかでも香港は、これまでアジア最大級のアートマーケットとして、国際的なアートフェアが毎年開かれ、アーティスト・ギャラリー・コレクターの間で交流が行われてきた場所ですが、市場の混乱や司法の独立性に懸念を抱いた外国企業の撤退が相次ぎ、アート・ハブとしての機能も失われることが心配されています。私も一度だけですが、デモが発生する前年の2018年3月に香港を訪れ、東京と変わらない過ごしやすさを感じてきただけに、詩人たちの行く先がとても気になります。
ところで、堀田善衛は自らの著作『方丈記私記』の映画化権を宮崎駿に「あげるよ」と話していたのだそうで、宮崎氏はこれを「なんとか実現したいが難しい」と語っています。(2008年に神奈川県立近代美術館で行われた『堀田善衛展 スタジオジブリが描く乱世。』の講演にて)
宮崎駿が堀田善衛のバトンを受け継いで作る映画、実現したらぜひ観たいのですが、今のところそういう情報はつかめていません。
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