[ESSAY:32] サタデーナイトの映画鑑賞
1977年公開、主演ジョン・トラボルタ。言わずと知れたダンスムービー『サタデー・ナイト・フィーバー』。
ワタクシは1976年生まれでリアルタイムではもちろん観ていないし、その後も興味の範囲外にあったんだけれど、ある土曜日の夜、思いついて観てみることにした。
もちろんあのビジュアルは知っていた。ミラーボールが輝くダンスフロアで、真っ白のスーツに身を包んだキメキメのジョン・トラボルタが、人差し指を立てた片腕を高く上げ、腰をくねらせているあのシーン。
その象徴的なビジュアルから連想するに、いかにもハリウッド的な浮かれポンチ青春映画だと思っていたし、そういうお気楽映画が観たくて選んだのだったけど・・・その期待はいい意味で裏切られた。
主人公のトニー(トラボルタ)はニューヨークのブルックリンで暮らす移民の家族の次男坊。父親は失業中、兄は教会の神父となって家を出ており、暮らしはつましい。母親は生真面目なクリスチャンで、夫が失業していることもあり、いつも陰気な顔をしている。
トニーはペンキ屋の店員として日銭を稼ぎ(客ウケのいい優秀な販売員)、家族の顔色をうかがいながら息詰まる生活をしており、得意のダンスでスポットライトを浴びる夜のディスコだけが生き甲斐を感じられる場所。
そこへ、一家の自慢の星だった兄が突然家に戻り、神父は辞めたと言う。最初から親の期待を背負っただけで、本音は荷が重かった。一方、トニーの遊び友達の一人は女の子を妊娠させてしまったが、結婚しなければ罰が下ると信じ込まされている。
人を救うはずの信仰は、若者たちを救うことができない。
トニーはダンスコンテストに向け、ディスコで出会ったステファニーとペアを組む。同じブルックリン出身なのに、どちらが賢く、成功しているかで虚勢を張り合う2人。
クライマックスのコンテストで、トニーとステファニーのペアは優勝に輝くが、新顔のプエルトリコ人のペアが明らかに観衆を熱狂させたのに、彼らを勝たせなかったのは「よそ者」だからだ、くだらない仲間意識はもうウンザリだと、トニーは怒りを爆発させる。
とまぁこんな具合で、『サタデー・ナイト・フィーバー』は、私が思っていたようなただの浮かれポンチ映画ではなく、1970年代のニューヨークの移民たちの苦しい暮らしぶりと卑屈な思い、移民同士の排他的な民族意識、信仰という名の非合理的な社会通念など、当時のアメリカ社会の影を随所に描いた厚みのある映画だった。
それでも一方では、ディスコでの会話や男友達との悪ふざけはまったくもってバカの極みだし、ダンス映画として、青春映画として、恋愛映画として楽しめる。エンタメでありながら社会背景に手を抜かないところは、ハリウッドの真骨頂かもしれない。
それにしても、ジョン・トラボルタも若い頃は目が綺麗だったんだな。年をとるのは悪いこととは思わないけれど、目の輝きだけは若さの特権だと思う。