無限の庭|河本蓮大朗展 [時の布] につながる点(6)
6回連続で綴る「河本蓮大朗展 [時の布] につながる点」、最終回は、今回の展示のインプットにもなり、またアウトプットにもなっている「庭」で締めたいと思います。
目に見えるイメージの先にあるもの
禅宗における庭は、世俗との分離を物理的・概念的に促進し、禅を実践するための思索の空間です。庭と対峙した時、形として目に見えるものを手掛かりにしてその根本にあるものを知る。庭による禅機* の表現は、建長寺など初期の禅宗伽藍から始まり、その後各地の臨済宗寺院へと伝播したそうです。鎌倉時代末期の高僧・夢窓疎石は作庭自体を「道行」であるとしました。(ちなみに前回のエッセイ「江湖 – 自由な世界へ」でご紹介した義堂周信の師匠は夢窓疎石です。)
*禅機・・・禅の修行で得られた力の発現。また、修行者に対して師が言葉による説明ではなく短句や動作を用いること。
同じ庭でも、浄土教建築では極楽浄土を描いたもので、広大な苑池の向こうに阿弥陀堂を配し、それを憧れの対象として対岸越しに眺めました。しかし禅宗様庭園には、極楽浄土のような固定したイメージがありません。固定化された概念から解放され、庭の先に見るのは自己の内面です。
無限の清風・無限の庭
建長寺での展示は、庭に面した方丈(龍王殿)の一室を茶室に見立てて展開します。窓からは庭を一望することができます(ページトップの画像)。この庭は、開山以降いくたびも改修されてはいますが、元々は開祖・蘭渓道隆の作庭によるもの。
蘭渓道隆は「無限の清風」を感じることを私たちに説いてくれています。以下は建長寺ホームページからの引用(抜粋)です。
「福山は揮(すべ)て松関を掩(と)じず
無限の清風来たりて 未だ已(や)まず」
一切の制「限」を「無」くし
ただ「清」らかな「風」のみを感じれば
心は開放される
修行者にも一般の人にも
老若男女 あらゆる人に対して
福山はいつでも門戸を開いている
(巨福山 建長寺 ホームページより 全文はこちら)
続きの文章も現代の私たちに染み入る内容なので、ぜひ上記のリンクから読んでみてください。
この「無限の清風」にインスピレーションを得て、建長寺での展示のために制作した作品が、今回の展示のメインビジュアルに使っている I Talk To The Wind です(下のリンク用画像)。道隆の庭と作品との邂逅は4月2日から4日の3日間限定です。
また、Gallery Pictorの展示室にも、「庭」が登場します。そちらは、もちろん自然の庭ではありません。訪れた方の禅機となるでしょうか。
ここに展示風景の写真は掲載しません。どちらの会場も、現実の空間で楽しんでください。ふたつの無限の庭でお待ちしています。
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