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[ESSAY:17] ライブラリより:「私」は脳ではない

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「私」は脳ではない(マルクス・ガブリエル著 / 講談社)

 

ライブラリ(6/25までギャラリー内に設置。詳しくはこちら)の書籍をご紹介していくシリーズの2回目です。

前回のエッセイでは、細胞生物学者ポール・ナースの「WHAT IS LIFE?」をご紹介しました。その中でナース博士は、私たち人間の自意識や自由意志といったものが、どのように生み出されているのか、それを解明するには自然科学だけではなく、人文科学や芸術からの知見を必要とするだろうと述べました。

 

 

自然科学偏重主義への警鐘

 

自然科学は確かに私たちの世界に対する認識を刷新し、私たちの生活を向上させてもきました。それが行き過ぎて、この世界の事象はすべて自然科学で説明できるとする自然科学偏重主義に陥ることの危うさを、科学の世界で大きな功績を残したナース博士が指摘していたのは印象的でした。

 

遺伝学や細胞生物学、生理学などを含め、神経科学が脳の構造や機能をある程度(というか近年、飛躍的に)明らかにしてきたことは事実ですが、人間の意志・行動が脳内で起こる化学物質伝達で決定されており、結局のところ人間は自由な意志など持っていない、と言われたら納得できるでしょうか? そのような考え方は科学者をはじめ人文科学系の知識層にも広まっていて、このような人々を「神経(ニューロ)中心主義」と呼んでこれに異議を唱えているのが、ドイツの哲学者マルクス・ガブリエルです。神経中心主義者が極論として「”私”=脳である」と主張するのに対し、彼は「『私』は脳ではない」と反論しているのです。

 

私たちは徹底的に自由

 

マルクス・ガブリエルは、史上最年少(29歳)でボン大学の教授に着任し、鮮やかな語り口で古典哲学をも批判するなど、「哲学界のロックスター」と(誰が言い出したのか知りませんが)言われている人です。センセーショナルなやり方に反感を抱く人もいるように見受けられますが、彼の書いた書籍、インタビュー、ドキュメンタリー番組などを通して見ると、「至極まっとうな人」という印象を私は受けています。それは彼がどんなことを語るときにも倫理を根本に据えており、それに基づいて哲学を現代社会に役立てようと考えている、という意味で「まっとう」なのです。

 

「『私』は脳ではない」についても、彼がそう反論する根本の意図は、自然科学偏重主義に陥ることで、人間が自らの自己決定能力を否定し、前近代的な行動様式(例えば独裁者––これは為政者とは限らないし、また人間とも限らない––に自由を明け渡すような社会)に退行することに危機意識を持ち、私たちは自分たちの意志で未来を思い描くことができる(たとえ間違えることがあったとしても)と、呼びかけることにあるのだと思います。

 

私たちは皆、徹底的に自由です。でもそれは、自己決定が勝手に機能するということではありません。自由を活かすこともできれば、うまく活かせないこともあるのです。人間にとって最も危険な敵は、自分自身や他者について誤ったイメージを作り上げる人間であることを、私たちは認識しなければなりません。

(中略)

それ(筆者注:神経中心主義や自然科学偏重主義のこと)に代わるとともに、自由に根ざしたグローバルな秩序の土台となるイメージが、ぜひとも必要です。私たちが自分の決断を自己決定という行為として認識できてこそ、私たちはよりよい政治状況を追求できます。

 

ガブリエルはあるインタビューで、近いうちにシンギュラリティ(人工知能が人間を超える転換点)が来ると言われているが、実はそれは30年前にすでに来ていたのだ、と語っていました。もちろん技術的にはまだ人工知能は人間を超えていません。しかし人間がテクノロジーを使うのではなく、逆に使われる状態が始まっているという意味では、そう言えるのかもしれません。

「このままでいいんですか?」と問う若き哲学者の危機意識は、やはり至極まっとうなのです。

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この記事を書いた人

中島 紗知 |Gallery Pictor オーナー

画業を営む両親の元に生まれ、幼少期より美術に親しむ。監査法人グループ等にて企業のESGマネジメントコンサルティングに従事した後、2019年 Gallery Pictor 設立。 1999年神戸大学卒業、2015年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。東京大学主催・文化庁推進事業「社会を指向する芸術のためのアートマネジメント育成事業(AMSEA)」2017年度修了。

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