[ESSAY:11] 12世紀の行動科学に学ぶ|河本蓮大朗展 [時の布] につながる点(4)
6回連続で綴る「河本蓮大朗展 [時の布] につながる点」の4回目です。ここまで、河本さんのFragmentという作品を起点にして、鎌倉での禅宗の興隆、その中心地となった建長寺、禅とともに伝わり現代まで受け継がれている茶の湯・織物文化をつないできました。ここで少しレンズを広角に広げてみます。
第2回の「鎌倉時代の国際交流センター」でも触れましたが、禅宗を通じて渡来僧や帰国僧がもたらした南宋(中国)の情報やモノは、日本の政権中枢やその周りの知識層、文化人にも影響を与えていきました。その頃に伝えられた情報:思想的なもので、後の日本にも影響を及ぼし、私たちが現代社会を生きるための智慧にもなるのではないかと思うものを2つ取り上げたいと思います。今日はまず1つめ。
南宋とはどんな国だったか
鎌倉時代の日本が多くを学んだ国・南宋は、近隣の軍事国家・金や元(モンゴル)といった国々に脅かされながらも、政治的には安定し、商工業を発展させ、海外貿易が盛んに行われ、20世紀まで通してみても文化的に最高レベルだったと中国国内の歴史家が述べるほど、物質的にも精神的にも豊かな時代を築きました。
政治的に安定したのは、皇帝と士大夫(したいふ)と呼ばれる官僚の共同統治がうまく機能したことも理由の一つにあるようです。士大夫は儒学を修めた知識人ですが、科挙と呼ばれる試験制度によって選ばれ、それも家柄や所有財産による足切りはなく、農民出身でも試験に合格すれば官吏となることができました。(ただ、試験に受かるだけの学力を身につけるのに、実際のところお金も人脈も必要だったりするので、士大夫の多くは地主出身だったようです。)
朱子学が伝えようとしたもの
その士大夫をはじめとする知識層の学ぶ儒学も、南宋時代に大きな転換を迎えます。儒学(儒教)はそれまで「人生訓・処世訓」の域に留まっていましたが、宇宙万物の法則・原理に基づく哲学として理論的に体系化されていきます。これを大成した朱子(朱熹)の名前にちなんで朱子学とされています。
例えば、儒教では元々、親子の愛情を基本とした人間関係の構築や道徳を重んじます。朱子学ではこれを、宇宙や自然界の秩序(法則)になぞらえて、秩序を保つために人間社会では上下関係によって安定した基盤を確立し、戦乱や災害を乗り越える力にする、という風に整理します。
この上下関係重視の考え方が、後に江戸時代の日本で封建制度の維持・強化に使われたため、朱子学は階級社会を支持したようなイメージがつきまとうかもしれませんが、朱子が構築した「理気二元論」をみれば、もっと広い視野で世界を捉えていたことが分かります。
12世紀の行動科学
「理気二元論」は、宇宙の万物は原理・法則(理)に従った物質(気)の運動によって成り立つと考えるものです。この「気」にあたる物質には生命力を持った物質=人間も含まれます。現代の私たちは物質と精神は別もので、相反するものと考えますが、どうやら朱子学では、物質は精神を内包し、その「理」を知ることで人間は向上するのだと考えるようです(これを「格物致知」と呼ぶ)。
現代物理学と行動科学、さらに精神哲学が合体したような考え方で、現代においてこの複雑な社会を生き延びるために、案外、有用なんじゃないかという気がします。
ここからは私の勝手な解釈ですが、人間も自然の摂理、つまり「理」に組み込まれている存在なので、人間(社会)の心理や行動も通常はその「理」の法則に乗っかって動いていて、「理」を逸脱した行動があると(例えば戦争や生態系の破壊)、それを解消するための別の力が働きます。逸脱が行き過ぎると、自己破壊につながります。朱子は12世紀にすでにそれを教えてくれていたのでしょうか。
次回は、もう一つの智慧、「江湖(ごうこ)」について。
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