[ESSAY:19] ライブラリより:なぜ世界は存在しないのか
ライブラリ(6/25までギャラリー内に設置。詳しくは下記)の書籍をご紹介していくシリーズの4回目です。
哲学者マルクス・ガブリエルについては前々回のエッセイ [ESSAY:17] でご紹介しました。その時に取り上げた「『私』は脳ではない」の前作で、彼を一躍有名にした著作が「なぜ世界は存在しないのか」です。ちなみに、いきなり冷水を浴びせるようですが、このタイトルはいささかミスリードで、本作の中で言わんとしているのは「全てを包摂するたった一つの世界などというものは存在しない」ということです。
たったひとつの世界なるものなど存在せず、むしろ無限に数多くのもろもろの世界だけが存在している。そして、それらもろもろの世界は、いかなる観点でも部分的には互いに独立しているし、また部分的には重なりあうこともある。
前回ご紹介した認知科学者ドナルド・ホフマンもこれと同じように、私たち一人一人(意識を持つ生物一個一個)が「意識的主体」であり、意識が世界を形作っていると考えました。また世界は意識的主体によって構成される巨大なネットワークかもしれないと示唆しました。
ガブリエルもホフマンも、かつてドイツの生物学者ユクスキュルが提唱した「環世界」の考え方をそれぞれの学問の見地から追試したようなもので、それ自体新しいものとは思わないのですが、ガブリエルの場合は、現代社会にひたひたと広がっている「全体主義」に抵抗するためにこの考え方を持ち出しています。
全体主義は、かつては日本の帝国主義やナチス・ドイツの独裁体制など、国があるひとつの思想で民衆を支配することに象徴されていましたが、21世紀のいま、テクノロジー信奉や自然科学偏重が新しい全体主義であり、しかも私たち民衆が自らそれに従っていると、彼は警鐘を鳴らしています。テクノロジーや科学の有用性を認めたからと言って、それがすべてを説明できるわけではない、非科学的だと言われる宗教も、芸術も、それぞれの領域で真実を説明しているのだと彼は言います。
(たったひとつの)世界は存在しないという洞察は、わたしたちが再び現実に近づくのを助け、わたしたちが他ならぬ人間であることを認識させてくれます。そして人間は、ともかくも精神のなかを生きています。精神を無視して宇宙だけを考察すれば、いっさいの人間的な意味が消失してしまうのは自明なことです。
本書の中で、ガブリエルは芸術の意味に一章を割いています。世界は単一の舞台ではなく、統一的な秩序の上に成り立っているわけでもなく、無数の秩序や意味が重なり合う集合であることを、芸術が気づかせてくれるからです。彼が言うところの芸術は、単に神経に刺激を与える娯楽ではなく、受動的でいては見過ごしてしまうことを取り出し、そこに光をあて、その意味に直面させ、その意味の多面性に気づかせてくれる装置なのです。
コレクション展示とライブラリ&ワークスペース
6月25日まで開催中!
◆営業時間
2021年5月12日(水)~6月25日(金)
・月曜休み
・火曜~金曜 9:30~17:00(予約なしで利用可能ですがワークスペースは予約優先)
・土曜~日曜 10:00~17:00(ライブラリ・ワークスペースとも事前予約制)
※ 東京都の緊急事態・神奈川県のまん延防止措置が解除された場合、営業時間や予約の要否を変更することがあります。
◆予約受付
ご予約・お問い合わせはEメール(info@gallery-pictor.com)でお願いいたします。