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[ESSAY:26] 中心が多数ある世界について考える

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今年1年のギャラリープログラムのテーマとした《中心はどこにでもあり、多数ある》のコンセプトを、このエッセイでも少しずつ紐解いていこうと思います。

 

このテーマを設定したのは、今の社会で、既存の価値観やシステムが機能不全を起こし、今までは「これを信じていればいい」と思っていたものが、砂上の楼閣のように脆く崩れ始めていて、これまでとは違う「中心」(=拠り所)を必要としているように感じたからです。でも、「中心」は一つとは限らない。そこがとても重要です。

 

私たちはこの世界で、限られた機能を持つ生物として、現実的に物事に対処する生活者として、そして幸福を追求する人間として、生きている限りあらゆるレベルで、知らず知らずのうちにグランドルールみたいなものを発見したり作り上げたりして、それを「中心」として生きているけれど、はたしてその「中心」は正しいのか、あるいは「中心」は一つではなくて、いろんな場所にたくさんあるものなんじゃないか?

そう考えることで、私たちは新しい世界の作り方を発見できるかもしれません。

 

実は私は子どもの頃、「私」という中心を変えて世界を見てみたらどうなるだろうと夢想することがよくありました。

子どもの世界では、いつも自分が中心ですが、ふとすれ違う人やモノに自分を置き換えてみるのです。私が、この家の私ではなく、あの家のあの子ならどうだっただろう、空き地のこの草だったらどうだろう、電線にとまっているスズメだったらどうだろう・・・

そんなことを考えているうちに、自分という存在がとても頼りなくなり、単なる偶然の産物に過ぎないのではないか、と感じていました。

 

 

そして、子どもの頃のその感覚は、意外にも正しかったのかもしれません。

 

この「私」という感覚を仏教用語で「自性(じしょう)」と言い、すべての存在は、他の存在(=他性)に依存している相対的なもので、絶対的な存在ではない、というのが「空(くう)」という概念です。

そしてこの「空」の思想を体系化したのが、2世紀インドの僧・龍樹。今回のプログラムのメインテーマの文章でも最初に触れました。

なぜ今、そんなに「空」という思想に惹かれたのか? 次回のエッセイに続きます。

中心はどこにでもあり、多数ある

Gallery Pictor 2022年プログラム
《中心はどこにでもあり、多数ある》


8人の作家がそれぞれの感性でこのテーマを読み解き、多様な主体が存在する世界観を提示します。
3月12日より開催するグループ展の後、各作家のソロ・エキシビションへと続きます。

◆参加作家
浅野井 春奈、石川 直也、小野 久留美、武田 哲、
TETTA、畑山 太志、星野 美津子、ユキ・ホワイト

Arts & Library Show《中心はどこでにもあり、多数ある》

◆会期:2022年3月12日(土)~4月24日(日)
◆営業時間:11:00〜18:00
◆休廊日:月曜・火曜

この記事を書いた人

中島 紗知 |Gallery Pictor オーナー

画業を営む両親の元に生まれ、幼少期より美術に親しむ。監査法人グループ等にて企業のESGマネジメントコンサルティングに従事した後、2019年 Gallery Pictor 設立。 1999年神戸大学卒業、2015年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修士課程修了。東京大学主催・文化庁推進事業「社会を指向する芸術のためのアートマネジメント育成事業(AMSEA)」2017年度修了。

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